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よくあるご質問
- Q1、読書によって読解力はつくのですか?
- 読書によって読解力はつくのですか?
- A1:むやみやたらに本を読んでも読解力はつきません。
書いてある内容が簡単すぎれば、それは時間の無駄です。
また、難しすぎれば、もっと時間の無駄です。
まずは、お子さんの「実力に合った」論理的な文章を読ませる必要があります。
そして、その内容をすべて理解できるまで徹底的に熟読しなければなりません。
そのような方法で読書をすれば必ず読解力はつきます。読解力とは言語を道具とする論理力のことです。
論理とは判断と推理のことです。
判断と推理を積み重ねて、「つじつまの合う理解や説明ができる」ということが、論理の本質です。
したがって、読解力とは、ある文章の内容についてつじつまの合う理解や説明ができるということなのです。文章についてつじつまの合う理解や説明に到達するためには、何度もくり返して読む必要があります。
こうしているうちに、あるときその文章の内容が、つじつまの合う形で理解できるようになります。
これは「読書百遍意自ずから通ず」といわれます。そこで、読解力をつけようと思ったら、お子さんにとって「実力に合った」レベルの文章を選ぶことが必要です。
次に、その文章の述べる内容が、つじつまの合う説明として把握できるまで、何度も読み込まなければなりません。
このような作業をいくつもの文章についてくり返していくうちに、次第に読解力というものが身につくのです。私は、試験問題で十分な点数が取れないレベルのお子さんが、読解力をつけるためには、いわゆる「読書」は効果が少ないと思っています。
それよりもむしろ、レベルの合った問題集を一冊選んで、その文章を何度も徹底的に読み込むほうが効果的に読解力をつけることができるのです。 - Q2、作文を書くことで記述力がつきますか?
- A2:ただやみくもに作文を書いても記述力はつきません。
論理的に説明する作文の練習をしなければ記述力はつきません。
作文には、大別して二つがあります。
一つは、「いつ・どこで・だれが・どうした」という事実を述べる作文。
もう一つは、ある問題について答えを導くことを目的とし、そのための論理過程を示す作文です。
前者はいわば物語的作文であり、後者はいわば説明的作文です。
中学受験で課される記述問題の多くは、論理的な説明のことですから、後者の説明的作文の練習が必要です。では、そのような論理的な作文の力をつけるには何をすればよいのでしょうか。① 論理的な文章の要約をすること。
② 文章の論旨を踏まえ、具体例をあげつつ、筆者の論理を展開してみること。
③ 文章の論旨を踏まえた上で、それに反対する論理を展開してみること。この三つを行いつつ、常に、文章が適切で論理的かどうかチェックすることが大事です。
抽象的な論を展開しつつも、具体例を分かりやすく示しているか、確認してください。それ以前の段階として、大まかな論旨を言葉で説明できなければ、記述の訓練は無意味です。
何よりも記述力の土台となるのは、文章の読解力なのですから。
したがって、正確に理解できない題材を使って記述の訓練をすることは避けてください。
作文は、論旨をお子さんが理解できる内容のものに限って行ってください。 - Q3、国語の勉強にテクニックは必要ですか?
- A3:テクニックは必要です。
有効なものは、知らないよりも知っていた方が得に決まっています。ただし、これは一定の実力を前提として始めて役に立つものです。
逆に、テクニックは一定の実力がついてくれば、自然と身についてくるものなのです。
分かりやすい例を挙げれば、プロ野球選手のイチローのテクニックは小手先だけのテクニックであるのか、実力であるのか、ということです。
後者であることに異論はありません。
イチロー選手は、基礎・基本を嫌になるほど反復して、オリジナルの技法に到達したのです。
たいして実力もないのに小手先のテクニックだけを求めていれば、いつまでも実力をつけられずに終わってしまいます。読解力にしても記述力にしても、言葉の数と論理力に基づいた不動の実力があって、はじめて身につきます。
その上にテクニックが加われば、鬼に金棒です。
確かな実力がつくまでは、テクニックにこだわらず、Q1・2で述べた訓練を行ってください。
そうすれば、知らず知らず、テクニックなどは身についているものです。
特殊な勉強法などないのです。 - Q4、志望校の傾向と対策は必要ですか?
- A4:確かに多くの学校で「漢字は10問、物語文1題、説明文1題、記述中心」というような出題傾向はあります。
それを知っておくことは、試験を受ける以上、必要なことです。
しかし、これは大雑把な傾向を知るということに過ぎません。注意すべき点は、毎年同じような出題傾向であっても、その中身である文章や問題は同じではないということです。
また、問題の難易度や自分との相性も、必ず毎年同じというわけではありません。
そこで、大切になるのが、それらの中身や変動に対応できる実力です。
そして、一般に中身に対応できる実力があれば、変動には対応できて、合格の可能性が高まるということです。
つまり、志望校対策は必要だが、それだけでは不十分だということです。
対策が活きるような国語の実力(言葉の数・読解力・記述力・漢字・熟語・文法)を身につけて、初めて確実に合格できるということです。どこの入試にも共通する実力を養うことを忘れて、安易な志望校対策に走るのはきわめて危険であるといえます。
国語の選択方式の問題が記述方式に変わったとしても、きちんと国語の読解力と記述力をつけておけば、別に大騒ぎすることはないのです。
選択問題ばかりの学校を受験するというので、選択問題だけをやっていればそれでよいというわけではありません。
受験生の中には文章の内容など分からなくても、選択問題はできると言い張る子がいます。
しかし、文章が読める力を土台として、選択の練習をするほうが点数を伸ばしやすいはずです。
大相撲でいえば、やはり「自力」といわれる力をつけた力士が星を伸ばすのと同じことです。 - Q5、試験慣れは必要ですか?
- A5:試験慣れが必要でないとはいえません。
試験時間と試験内容から、問題をどのくらいのペースで解けばよいのかという感覚は必要だからです。しかし、よく注意してみてください。
みんな同じように試験を受けているのに、言い換えれば、みんな同じように試験に慣れているはずなのに、試験の結果には大きな開きがあるのです。
これは、試験慣れというのは、実力をつけるということとは違う、ということです。
実力をつけた上で、あるいは、実力をつけるのと並行して、試験に馴れていくのであれば、試験の点数もよくなります。
しかし、実力をつけることを怠って、試験ばかりを受けていると結局点数は上がらないままです。
試験を受ける回数よりも、自宅での地道な勉強が何よりも必要なのです。それよりも、試験が返ってきた後の復習はしっかりやっていますか?
私に言わせれば、復習を十分にしないのであれば、試験は無意味です。
復習をしない試験を受けるくらいなら、レベルに合った問題集を家でやる方がよっぽど成績は上がります。 - Q6、国語の成績は才能で決まりますか?
- A6:国語は論理ですから、論理力を鍛えれば成績は上がるはずです。
もちろん、論理力に才能というものが無関係なわけではありません。
個人差もある程度あるでしょう。
しかし、中学受験をする人で、まったく論理力がないという人はいません。
肝心なのは、論理力をつける努力をするかどうかの問題です。言葉を話せる以上、国語はできるはずです。
国語が伸び悩む理由は大まかに三つあります。第一に、難しすぎる問題に手を出し空回りしている。
第二に、反復練習をしていない。
第三に、間違った原因を明確にしていない。(その結果、同じ間違いを繰り返す)この三つを克服すれば、国語の成績は必ず伸びます。
才能のある子は、この三つが自力でできているのです。
つまり、① 自分のレベルに合った問題を解く。
② 同じ問題を反復する。
③ 間違った原因を明確にする。この勉強法で伸びない子がいたら、そもそも、その子は言葉が話せないはずです。
この勉強法を、愚直に反復してみてください。
結果は、時間がどれくらいかかるかという差はあれ、必ずついてきます。
勉強に才能は、ほとんど(まったくとはいいませんが)、関係ありません。 - Q7、家庭教師で国語の力がつきますか?
- A7:国語に関する限り、家庭教師の指導は集団指導よりも明らかに有効です。
お子さん一人一人の間に、言葉の数にも論理力にも大きな差があるからです。
実力が違うお子さんが、塾で同じテキストを読み問題を解くのは、合理的ではありません。
お子さんのレベルの合ったテキストを、じっくりと読み込み、会話をしながら理解させることが重要です。小学生のお子さんは、一人では自分の考えが論理的かどうか判断できません。
したがって、大人が、お子さんの思い込みを訂正してあげることです。
お子さんが分からない箇所を、「辞書を引きなさい」と言って一人で学習させるのは無理があります。
先日、ある小6のお子さんの指導をしていたときのことです。
その子が「矛盾」という言葉を知らなかったので、辞書を引かせると「つじつまが合わないこと」と書いてありました。ところが、その子は「つじつまが合わない」という言葉の意味を知らなかったのです。
これでは、一人で勉強しろというのはかわいそうです。塾の先生は、生徒の半数くらいが理解すれば次に進んでしまいます。
集団塾では、お子さんがすべてを理解するところまでは先生は教えてくれません。
国語が苦手な子は、大人と二人で、レベルに合った勉強をすべきなのです。
集団塾で1年間国語を習っても伸びない場合、方法を変えてみることをおすすめします。 - Q8、夏期講習の2週間で国語力をつけることができますか?
- A8:2週間でも「読解のコツ」くらいは学ぶことができます。
しかし、「国語力」をつけることはできません。「読解のコツ」は、マニュアル化すれば、非常に単純なものになります。
しかし、それを頭に入れたところで、文章の読解には役に立たないものです。
読解力をつけるためには、具体的な文章の読み込みをくり返して、そこから経験的に「読解の方法」を自分の中に作っていくことが必要だからです。
抽象的に整理された読解マニュアルを知ることと、実際に読解ができることとは大きな違いがあるのです。
ピアノを弾く技術を身につける場合を考えてみてください。
ピアノの弾き方マニュアルを覚えたところで、ピアノは弾けるようになりません。
具体的な曲の練習の積み重ねを通して、弾き方を身につけていくしかないのと同じことです。ただ、この読解技術の習得過程を合理化することはできます。
昔の徒弟制度のように「ひとりで学べ」というような不合理な方法では時間がかかります。
生徒が、「読解とは文章をこのように読むことであり、こう考えれば意味やテーマが納得できるのだ」と実感できるように、無理なく導くことは大切です。
そうすることで、読解の方法を比較的短期間で体得させていくことができるからです。しかし、短期間で身につけたものは、短期間で忘れ去られてしまいます。
この点は極めて重要です。
個人差がありますが、国語の実力をつけるには、じっくりと腰をすえてかかるべきだと思ってください。
中学受験の入試問題の多くは、安直なマニュアルの裏をかくようにつくられています。
学校側も、確かな実力をもった生徒を求めます。
短期間で結果を出そうとせず、受験当日に結果が出るように、本物の実力を身につけていってください。 - Q9、低学年のうちから勉強させた方がいいですか?
- A9:「早く受験勉強をスタートすれば合格に有利だ」という考え方は基本的に正しいと思います。
勉強に早くて悪いということはありません。
しかし、レベルに合っていない問題をさせてはいけません。
複雑な心理や抽象的な概念の理解を求める文章題は、低学年のお子さんには無理です。
少し努力すれば理解できる文章題を、丁寧に、反復しつつ解かせることです。
そうすれば、国語力がつき、算数など他の科目も伸びやすくなります。しかし、私は1年間あれば国語力は十分つけられると経験的に考えています。
そう考えれば、5年生や6年生からはじめて、遅すぎるということはありません。
この学年で国語の論理的な読解・記述のトレーニングをすると、短期間に力がついてきます。習い事などで忙しい子は、5年生になってから本格的な勉強を始めるくらいでいいのです。
小学校4年生までにしておくことは、① 漢字・熟語を覚えさせる。
② 読みたい本を読ませる。(簡単なものでいいです)
③ 作文を書かせる。(筋が通った文章なら十分です)これで十分なのです。
5年生になってから、説明文や随筆など、小学生が読まない文章題に入ればいいのです。
低学年のうちから、読んでも面白くない文章を読ませて、国語が嫌いになるなんてことがないように注意しましょう。